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ディープインパクト負けた…05年有馬記念クリスマスの衝撃 〜瞬間の記憶〜

2022年12月20日 16:00

ハーツクライでディープインパクト(右)を破ったルメールは左腕を突き上げて喜びを爆発

 創刊150周年を迎えた報知新聞の特別企画「スポーツ報知150周年 瞬間の記憶」。最終回の今回は中央競馬の2005年12月25日に行われた有馬記念です。その年、武豊騎手とのコンビで無敗の3冠馬となったディープインパクト。その強さを一目見ようと16万2409人が中山競馬場に駆けつける中、まさかの初黒星。クリストフ・ルメール騎手が手綱を執ったハーツクライのG1初制覇でした。衝撃の瞬間を目撃した上村尚也記者(53)の脳裏に焼き付くのはくしくも「音の記憶」―。

 ハーツクライの記憶は、中山競馬場全体を揺るがした“異様な音”とともに脳裏に焼き付いている。一瞬の静寂後に起こった「ゴォー」という地響きに似た重低音。それは、10万人単位で一斉に吐き出された落胆のため息だったと思う。無敗の3冠馬ディープインパクトに初めて土がついた。負のインパクトも強烈だった。

 ただし、ジャイアントキリングの主人公にとって、その結果はいつの時代も奇跡ではなく必然だ。ルメールの言葉を借りれば、後ろから運んで鼻差2着のジャパンCは「ミステイク」、続く有馬記念の先行策は「ストラテジー(戦略)」だった。中山・芝2500メートルはコース形態上、先行策が功を奏することが少なくない。「僕はチャンピオンが勝ち続けることの難しさを知っている」。当時26歳。追い切り後の会見でそう言い放ったが、のちに「皆がディープインパクトのことしか言わないから自分も不安になった」と当時の心境を明かした。

 勝利が失望を呼ぶかもしれない。そんな本末転倒な雰囲気を感じながらも、ルメールが気持ちで負けなかったのが本当の勝因だ。エンジンの掛かりが遅いハーツクライ。左隣のオペラシチーの方がスタートダッシュが速く、目の前の進路を奪われそうになったが、手綱を押し続けてついには3番手を取り切った。

 発馬からここまで21秒間。もし、相棒の行き脚の鈍さにルメール自身がひるみ、先行を諦める気持ちが、たとえ数秒でも生じていたら、レースはどうなっていたか。正しい戦略を打ち立てるだけではなく、自らの戦略を信じ、完遂する意思力が備わってこそ、ジャイアントキリングは成立しうる。サッカーW杯日本代表の強豪撃破を見て、あの時のルメールもそうだったなと思い出した。

 今週末は第67回有馬記念。17年前と同じクリスマス開催となったが、状況は一変した。コロナ禍による規制。当日の中山競馬場に入場できるのは最大4万7000人余りで、当日券も売られない。だからこそ強く願う。再び競馬場に大歓声を! いつの日か、ハーツクライの記憶が吹き飛ぶほどの10万人超の“魂の叫び”を!(上村 尚也)

【ハーツクライ】父サンデーサイレンス、母アイリッシュダンス(父トニービン)。北海道千歳市・社台ファームの生産。当時は橋口弘次郎厩舎所属の牡4歳。翌5歳時のドバイ・シーマクラシック(アラブ首長国連邦)でG1・2勝目、英G1キングジョージ6世&クイーンエリザベスSの3着好走も評価されて2007年に北海道安平町・社台スタリオンステーションで種牡馬生活をスタート。2頭の日本ダービー馬(14年ワンアンドオンリー、22年ドウデュース)を送り出すなど活躍し、20年の種付け終了後は功労馬として余生を送る。通算19戦5勝。

【ディープインパクト】父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア(父アルザオ)。北海道早来町のノーザンファームの生産。当時は池江泰郎厩舎所属の牡3歳。シンボリルドルフ以来となる史上2頭目の無敗の3冠馬。翌4歳春は天皇賞・春、宝塚記念を制覇。仏G1凱旋門賞(3位入線、失格)から帰国後もジャパンC、有馬記念を連勝した。通算14戦12勝。2007年から北海道安平町・社台スタリオンステーションで種牡馬入り。19年に17歳で死んでからも、20年に無敗の3冠馬コントレイルを出すなど種牡馬としてもJRA・G1・70勝。

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