13年4月7日 急きょ騎乗したC・デムーロに導かれて桜花賞を制したアユサン
「桜花賞・G1」(9日、阪神)
日本の世界一奪還で幕を閉じたWBC。当コーナーでは過去のWBCイヤーにおける桜の
ヒロインをピックアップし、これまでの歴史を振り返る。第3回は13年覇者
アユサン。
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13年の
アユサンは苦難と幸運の末に桜冠を手にした。デビューしたのは12年10月。新馬戦を強烈な末脚で勝つと、2戦目のアルテミスSも2着と好走した。続く阪神JFでは0秒6差の7着。期待を背負って翌年を迎えたが、待っていたのはアク
シデントだった。
始動戦として選んだデイリー杯クイーンCは寝違えで回避。手塚師は「この頃もソエがあったり、腰に少し不安があったり。腰はもう昔から慢性的なものだったよね」と振り返る。その後、チューリップ賞3着で何とか権利を得たが、またしても困難が訪れる。
レース前日に主戦の丸山が福島競馬で落馬。鞍上が不在となったのだ。「すごく驚いたけど、偶然、目の前にいたんだよ。すぐに依頼したら受けてもらえた」と師。そこにいたのは短期免許で来日中のC・デムーロ。その後、意識が回復した丸山から助言をもらうと、好位から運んで勝利に導いた。7番人気での戴冠だった。
たたき合いとなった
レッドオーヴァルの鞍上がM・デムーロだったことで、JRA・G1史上初の兄弟ワンツーが実現した。クラシック初制覇となった師は「そりゃ、うれしかったよ。それを目指して頑張ってきたんだから」と当時を思い出しながら目を細めた。
◆第3回VTR 山本監督が就任。メジャー組の出場辞退もあり、NPB選手のみで挑んだ。格下と思われていた1次ラウンド初戦のブラジル戦から辛勝。2次ラウンド初戦・台湾戦では1点を追う九回2死から一走・鳥谷が二盗に成功して井端が同点打。延長十回に中田の犠飛で劇的勝利を飾った。しかし勢いは続かず、
プエルトリコとの準決勝では重盗のミスなどもあり敗戦。3連覇を逃した。優勝はドミニカ共和国だった。