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【ブリーダーズC・コラム】1994年武豊騎手に同行の吉田記者は涙 それでも矢作調教師にとっては通過点 

2025年11月02日 12:42

フォーエバーヤングで世界一に輝いた坂井瑠星騎手と矢作芳人調教師の師弟コンビ(カメラ・高橋 由二)

 還暦を過ぎても競馬を見ながら泣けるものだと思わなかった。

 快挙は突然やって来るものではない。1996年、タイキブリザードが日本調教馬としてBCクラシックに初挑戦した。結果は優勝したアルファベットスープから27馬身差の最下位(13着)。中盤からレースに参加すらさせてもらえなかった屈辱の敗戦から、日本競馬の闘いは始まった。あれから29年。フォーエバーヤングが正真正銘の世界最高のダート王に輝いた。

 1ドルが80円前後で推移する円高時代の31年前の1994年、たった一度、立て続けにG1が並ぶアメリカ競馬の祭典を観戦した。「全レースがメインですよ」マイル(スキーパラダイス)とディスタフ(エリンバード)に騎乗した武豊騎手が興奮気味に語ったが、なかでもクラシックは特別だった。

 「ザ・レース」に、その名を刻んだのはトレーナー、矢作芳人。やっぱり、この人だった。「日本で受からなかったら、オーストラリアで調教師を目指すよ。この先、日本でも外国馬が出走できるレースが増えてくるから」そう笑い飛ばしたのは、調教師試験に挑戦を始めた30年以上前。持ち乗りの調教助手だった。

 当時、ジャパンCの直前になると、毎年のように矢作さんのところへ足を運んだ。まだ、JCは外国招待馬の層が厚かった時代。インターネットもグリーンチャンネルもない。情けないが、情報がなかった。「今年はどの馬が強そうですか」失礼な話だが、矢作さんは臨時講師だった。その頃から視線の先にあったのは常に海外だった。

 大井競馬の調教師会の会長を務めた父・和人さんの厩舎で育った根っからのホースマン。「日本一の進学校」開成高校出身だが、信念を持って卒業後は競馬の世界へ進んだ。調教師試験合格までは、今の華麗な経歴からは想像できない回り道をしたが、この日、ひとつの夢をかなえた。いや、矢作さんにとっては、通過点なのだろう。

(中央競馬担当・吉田 哲也)

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