水曜企画「G1追Q探Q!」は担当記者が出走馬の陣営に聞きたかった質問をぶつけて本音に迫る。ダートの頂上決戦「第26回チャンピオンズC」は大阪本社の田井秀一(32)が担当。来春に定年引退が迫る名トレーナー佐々木晶三師(69)が送り出す
ラムジェットを徹底取材した。「復活の兆し」「ノースヒルズ」「最強世代」の3テーマを問う。
《復活の兆し》東京ダービー以来1年半、白星から遠ざかる
ラムジェット。今季は中東遠征からスタートしたが順風満帆とはいかず。佐々木師は「サウジC(6着)は検疫厩舎に入ってからナイーブになってカイバが上がってしまった」と振り返る。続戦のドバイワールドCも9着。「中東連戦はやはり厳しい。見えない疲れが帝王賞(6着)にも残っていたのかも」と上半期は不本意な結果に終わった。仕切り直しのコリアC(3着)も擦過傷の影響で満足に調教を積めなかった。
低迷の原因について、師は「馬が競馬から逃げている」と分析。調教メニューを見直し、小牧を調教役に起用。「右腰が甘いところがあって、人間と同じでそこをカバーしながら動いてしまう。我慢して走らせるように教え込んだ。(小牧)加矢太はそのへんの技術がある」。障害練習を取り入れるなど試行錯誤を重ね、前走みやこS(4着)の直前は「ス
トライドが大きくなって、脚を擦るようになった」と馬場が深くて軟らかいダートコースで追い切らなければならないほどに調子が戻った。その成果はメンバー断トツの上がり3F35秒3の鬼脚として発現し、「久々にらしさが出た。よみがえった」と手応えを得ている。
《ノースヒルズ》
ラムジェットはノースヒルズの生産馬。同郷の先輩
アーネストリー(11年宝塚記念)、
キズナ(13年ダービー)、
アップトゥデイト(15年中山グランドJ、中山大障害)は佐々木厩舎で育ち、鍛えられ、G1を勝った。指揮官は「最後の最後までこういう馬を管理させていただいてありがたい限り。定年が近い中でG1に出せるのはなかなかないことだから」とこうべを垂れる。
他のノースヒルズ関連の現役馬も
タレント豊富。土曜の鳴尾記念に出走する
ウエストナウは先月15日アンドロメダSを勝利。前田幸治オーナー所有の
インプレスは8月の新潟ジャンプSで、厩舎のJRA全10場重賞制覇の大トリを飾った。ジャンプ戦線には前田幸貴オーナーの
ネビーイームもいる。3頭はいずれも師が手がけたダービー馬の産駒でもある。「信じられない。最後までしっかり頑張らないといけない」と来春まで身を粉にする決意を明かす。チームは長年かけて培われてきた一枚岩の絆で結ばれている。
《最強世代》現4歳はダート最強世代の呼び声が高い。佐々木師は「連戦連勝の
ミッキーファイトも初対戦(ユニコーンS)の時からあれぐらい走ると感じていたし、ダービーで一緒に走った
アンモシエラも前走(JBCレディスクラシック)復活した。世代レベルは本当に高い」と舌を巻く。チャンピオンズCの対戦相手にも
サンライズジパング、
シックスペンス、
ダブルハートボンド、
テンカジョウと4歳勢のV候補がごろごろいる。
世代の代表格、BCクラシックを制した
フォーエバーヤングは「本当に強い」。東京大賞典では0秒3差まで迫ったものの、直接対決で4度後塵(こうじん)を拝している。「ここで結果を出して、来春の定年前にもう一回サウジに行きたい」と語る師の夢がかなえば、それはすなわち世界一まで上り詰めた同期へのリベンジの機会を得ることにもつながる。「衰えてはいない。最強世代の一角を担っている馬だから」。“最強世代のダービー馬”というきらびやかな称号の価値を証明する一戦になる。
《取材後記》佐々木師はチャンピオンズCでは18年
ウェスタールンドの2着が最高着順。初勝利に立ちはだかるラ
イバルのうち4頭が師自ら手がけた
キズナの産駒だ。「短距離も長距離もダートも障害も走る。産駒が勝ってくれたらうれしいよね」と2年連続のリーディングサイヤーが目前に迫る愛馬の大活躍に頬を緩める。競馬週刊誌のフォトパドックを眺めると、「
ハギノアレグリアスはいい馬だなあ…」とやはり気になるのは
キズナ産駒。競馬はブラッドスポーツだと改めて感じ入った。
ラムジェットの父は
マジェスティックウォリアー。昨夏、けい養先の
イーストスタッド(北海道浦河町)を訪問した。通常、翌年分の種付けの申し込みは秋になってからだが、
ラムジェットを筆頭とした産駒の快進撃に、夏の時点で問い合わせが来るほど人気が急騰。関係者も「こんなことは今までなかった」と喜んでいた姿が記憶によみがえった。身近で携わる人はもちろん、遠く離れて見守る人も、ダービー馬の復活を願っている。(田井 秀一)
◇佐々木 晶三(ささき・しょうぞう)1956年(昭31)1月15日生まれ、山口県出身の69歳。74年に栗東・中村武志厩舎所属で騎手デビューし、
ホースメンテスコに騎乗した79年桜花賞でG1初制覇。83年の騎手引退後は田中耕太郎厩舎、坂口正則厩舎などで調教助手を務め、94年に調教師免許を取得、同年11月に初出走。タップダンスシチーを起用した03年
ジャパンCでG1初制覇。JRA通算7516戦676勝、うち重賞は平地と障害を合わせてG1・7勝を含む53勝。