ルメール騎手とのコンビで、2度目のジャパンカップダート制覇を果たした
これまで様々な条件で開催されてきたチャンピオンズカップ。レース名も「ジャパンカップダート」だった頃、阪神ダート1800mに変わった最初の年は、鮮やかな復活劇が繰り広げられた。「チャンピオンズカップヒストリー」、今回は2005年・2008年のカネヒキリをお送りする。
■屈腱炎を克服して3年ぶりの優勝
3歳でダートに転じたカネヒキリは、ジャパンダートダービー(大井2000m)とダービーグランプリ(盛岡2000m)のGIを連勝し、3歳世代の頂点に立った。
そして挑んだのが第6回ジャパンカップダート(東京ダート2100m)である。古馬初対戦となった前哨戦の武蔵野S(東京ダート1600m)は2着に敗れたものの、ジャパンカップダートでは単勝オッズ2.1倍の堂々の1番人気に推された。
カネヒキリは中団後方からレースを進めた。直線では外から追い込み抜け出すかと思われたが、内を突いたスターキングマンと前で粘るシーキングザダイヤとの3頭の追い比べに。互いに譲らぬ叩き合いは、ゴール後の武豊騎手が自分(カネヒキリ)は2着だと思い、シーキングザダイヤの横山典弘騎手に祝福の声をかけたというほどの接戦で、カネヒキリがハナ差制した。1度目のジャパンカップダートの勝ちタイム2分08秒0はレコード更新(コース改修後)となった。
翌2006年もフェブラリーSを快勝し、ドバイワールドCで4着など、ダート中距離路線で活躍を続けていた。そこへアクシデントが襲う。帝王賞2着後に2度の屈腱炎を発症し、長期休養を余儀なくされたのだ。
その休養は2年を超え、復帰したのは前走から2年4か月後の2008年武蔵野S(東京ダート1600m)だった。ここでは直線で前が詰まる不利もあり9着。そして復帰2戦目に選ばれたのが、この年から阪神ダート1800mで行われる第9回ジャパンカップダートである。
このときのカネヒキリは4番人気に留まった。1番人気は、カネヒキリが休養中に台頭していた国内ダートGI6連勝中のヴァーミリアン、そしてサクセスブロッケンとカジノドライヴの3歳馬が2、3番人気に続いた。
出走15頭すべてが重賞ウィナーという顔ぶれのなか、カネヒキリは好位の外、ヴァーミリアンは後方を追走する。ややゆったりした流れのなか、3コーナーを過ぎ後続が前との差を詰め、ヴァーミリアンは外から一気に位置を上げる。カネヒキリは内に導かれ、逃げ馬の後ろでスパートのタイミングをうかがう。
横に広がった形で直線を向くと、逃げるサクセスブロッケンに外からカネヒキリが並びかける。さらに外からヴァーミリアンも迫ってきたが、残り100mで抜け出したのはカネヒキリだった。最後はメイショウトウコンの猛追をアタマ差凌ぎ、06年のフェブラリーS以来、約2年10か月ぶりの勝利を手にした。同時に、ジャパンカップダートは3年ぶり2度めの優勝となった。
初めてコンビを組んだC.ルメール騎手は、レース前に負傷療養中の武豊騎手から「1800mはベストの距離で、ここを勝てる馬だよ」と聞いていたという。そして、「長い休養があって100%の能力を出し切るのは難しいのに、4年でジャパンカップダートを2勝するなんてファンタスティックだ。彼とこのレースを勝てたことを誇りに思うよ」と讃えた。
カネヒキリは2010年夏まで現役を続け、ダートGIで7勝をあげた。2008年にはJRA最優秀ダートホース、NARグランプリダートグレード競走特別賞を受賞したが、メジャーリーグや日本のプロ野球のような“カムバック賞”のタイトルがあれば、確実に受賞していただろう。そんな素晴らしい復活劇だった。