女傑ヒシアマゾンが死亡、28歳 GI・2勝、1994年有馬記念でナリタブライアンの2着

2019年04月17日 20:47

牡馬相手にも互角以上の戦いを続けた女傑ヒシアマゾンが死亡(1993年阪神3歳牝馬S優勝時)

 現地時間15日夜、アメリカのポログリーンステーブルで余生を送っていたヒシアマゾンが老衰のため28歳で死亡した。17日、JRAが発表した。

 ヒシアマゾンは父Theatrical、母Katies、その父ノノアルコという血統。美浦・中野隆良厩舎から1993年に2歳(現在の馬齢表記)でデビュー。同年の阪神3歳牝馬SでGI初制覇を遂げ、翌年のクイーンC(GIII)からエリザベス女王杯(GI)までには重賞6連勝をマークした。当時、外国産馬であったヒシアマゾンにはクラシックへの出走が認められていなかったが、エリザベス女王杯では同年のオークス馬チョウカイキャロルをハナ差退けてGI・2勝目を挙げた。

 同年暮れの有馬記念では同世代の三冠馬ナリタブライアンの2着と健闘し、ライスシャワー・アイルトンシンボリらの古馬には先着した。翌年はオールカマー・京都大賞典と牡馬相手の中距離重賞で人気に応え快勝、続くジャパンCでは外国馬ランドの2着となった。1996年の有馬記念5着を最後に現役生活にピリオドを打ち、繁殖入りした。引退後のほとんどの時間は米国で過ごした。通算成績は20戦10勝、GI・2勝、重賞9勝。主戦騎手は中舘英二騎手(現調教師)。

【阿部雅英氏(ヒシアマゾンのオーナー 阿部雅一郎氏のご子息)のコメント】
「日が沈みかけ薄暗くなった放牧地で静かに息を引き取ったという報告を受けました。ここ最近は食が細くなっていたものの、他の馬の例にはなく、ゆっくりながらも歩き回り、寝起きには問題なく見えていたということだったので、他の馬とは違うところを最期まで見せてくれていたのだと思います。

 現役時代もそうですが、引退後もツアーを組まれて出羽牧場に見に行かれ、アメリカに移動後も見に行かれた方が多数いるとお聞きしていますが、沢山のファンに愛された幸せな馬だったと思います。彼女の娘を繁殖牝馬として所有していますが、彼女の名前を思い出させるような馬をターフで走らせる事が、使命だと感じています」(JRAのホームページより)

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