89年皐月賞馬ドクタースパートが死亡

2011年10月29日 10:00

 JRAは28日、89年の皐月賞(GI)を勝ったドクタースパートが同日午後13時00分頃、北海道日高郡新ひだか町の日本軽種馬協会静内種馬場で老衰のため死亡したと発表した。25歳だった。

 ドクタースパートは、父ホスピタリテイ、母ドクターノーブル(その父タケシバオー)という血統。88年に道営競馬・帯広競馬場の新馬戦でデビュー(3着)。3戦目で初勝利を挙げると地方成績6戦4勝の成績を引っ提げ、中央の柄崎孝厩舎(美浦)に移籍。的場均騎手を鞍上に迎え、移籍初戦の京成杯3歳S(GII)で重賞初制覇。翌年スプリングS(GII)・3着後に迎えた皐月賞では不良馬場をものともせず優勝し、道営出身馬初の中央GI制覇を飾った。

 次走の日本ダービー14着後は、勝ち星に恵まれない時期が続いたが、90年ステイヤーズS(GIII)で重賞3勝目を達成。その後、屈腱炎を発症し引退となった。通算成績は18戦7勝(重賞3勝)。引退後は日本軽種馬協会胆振種馬場で種牡馬入りするが、2000年に種牡馬を引退。同協会静内種馬場で功労馬として繁養されていた。

【日本軽種馬協会 静内種馬場(繋養者)のコメント】
「ドクタースパートが那須から静内に移動したことが報じられると、ファンの皆様方からお手紙をいただくなど本当にファンに愛されている馬でした。長い間お疲れ様でした。ゆっくり休んでください」

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