ダート界を沸かせたブルーコンコルドが死亡。写真は08年南部杯優勝時、山本良樹元厩務員と(撮影:佐々木祥恵)
JBCスプリント(05年)、JBCマイル(06年)、東京大賞典(06年)、かしわ記念(07年)、南部杯3連覇(06年07年08年)など、GI・JpnI併せて7勝を挙げたブルーコンコルド(牡)が、2日の午前9時半、息を引き取った。16歳だった。同馬の通算成績は50戦15勝、うち重賞は11勝している。
09年のJBCクラシック(JpnI)8着を最後に競走馬登録を抹消したブルーコンコルドは、現役時代、夏の休養で過ごしていた北海道新冠町のハントバレートレーニングファームで、余生を送っていた。
しかし蹄葉炎を発症し、ここのところは馬房で過ごす日が多くなっていた。同ファームのケアのもと、食欲もあり蹄以外は健康を保っていたが、4月30日頃から起立が不能となり、2日朝に天に召された。
「いつもの牧場の朝の音を聞きながら、眠るように旅立っていきました」と吉田さんは、穏やかだった最後の様子を語ってくれた。
現役時代担当だった山本良樹元厩務員は、ブルーコンコルドの引退後は毎年のように同馬に会いに訪れていた。そのたびにコンコルドは嬉しそうにいななき、山本さんに体を寄せてきたという。
「最後まで手のかからない馬でしたし、現役時代からいろいろなことを教えてくれた馬でした」と、吉田さんは電話口で声を詰まらせた。
多くの人に愛されたブルーコンコルド。フェブラリーSでは2年連続2着(07年08年)と、JRAのGIタイトルには惜しくも手は届かなかったが、全盛期に見せたあの豪快な走りとスピード、強さは本物だった。
晩年は蹄の病のために走り回ることはできなかったが、今はコンコルドのごとく超音速で天国を駆け回っていることだろう。砂の上を力の限り駆け抜けた名馬の冥福を心から祈りたい。
(取材・文・写真:佐々木祥恵)