後続の猛追をしのいだヴィクトワールピサ(左)=2010年12月26日
「有馬記念・G1」(25日、中山)
メッシ擁するア
ルゼンチンの優勝で幕を閉じた今年最大のスポーツの祭典・サッカーW杯。過去のW杯イヤーにおける
グランプリ覇者にスポットを当てて歴史を振り返る。
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皐月賞を制し、3歳で
グランプリに臨んだ
ヴィクトワールピサ。秋は初めて海外に挑戦し、ニエル賞→凱旋門賞→
ジャパンCと、今では考えられないハードなローテーションで決戦に駒を進めた。その上で、調教担当の松田助手は「フランスの時から走り方を変えようとしていました」と明確な課題を持ち、馬づくりを進めてきた。
「人間で言えば、小さい女の子がヒールを履くと、骨が柔らかいからゆがんでしまう。馬も一緒で、(古馬になったら)姿勢を低くしようと。皐月賞はセンスだけで走っていましたから」と意図を説明。国内外で経験を積みながら、さらなる高みを目指して進化を求めた。
迎えた年末の大一番。「やりながらも疲労を残さないように。有馬の時には精神、肉体、全てが完璧だったと思います」と仕上げ人が思い描いた通り、走り方を含めてもうひと回り成長。ベストと言える状態でターフに送り出した。
レースは最内枠から好位をキープし、向正面でまくり気味に進出。逃げる
トーセンジョーダンを4角でパスして先頭へ。そのまま押し切るか-。そう思われたが、大外から断然の1番人気だった
ブエナビスタが強襲。ラストは鼻面をそろえ、ゴールに飛び込んだ。
約6分に及ぶ写真判定の末、軍配が上がったのは
ヴィクトワールピサ。「声が出ました。あのブエナを倒したぞ…と」。フォーム改造で手にした栄冠は、翌年のドバイワールドC制覇の偉業にもつながる勝利だった。