94年の有馬記念を制したナリタブライアン。馬の左が大久保正陽師(ユーザー提供:しるばーちゃーむさん)
JRAは25日、大久保正陽元調教師が21日に死去したことを発表した。87歳だった。
昭和から平成の競馬シーンを彩った名伯楽だった。70年に34歳で騎手を引退し、72年に亡くなった父・亀治氏の厩舎を引き継ぐ形で開業。開業5年目の76年にはエリモジョージで天皇賞(春)を制覇。そして隆盛を極めたのは90年代だった。93年にナリタタイシンで皐月賞を勝つと、翌94年にはナリタブライアンで牡馬三冠に加えて、有馬記念を制覇。さらに97年にはシルクジャスティスで有馬記念を制した。
個性派を多く管理したことでも知られる。エリモジョージは人気を集めると惨敗、人気が落ちると圧勝を繰り返して“気まぐれジョージ”の異名をとった。JRA全10場の重賞を走ったヤマノシラギク、史上初めて障害帰りのGI馬となったメジロパーマーも印象深い。また、大幅な距離変更や芝ダート替わりを積極的に用い、ナリタブライアンを高松宮杯に出走させた際には大きな話題となった。