第67回阪急杯・G3(26日、阪神)と第97回中山記念・G2(同、中山)の出走馬が23日、確定した。今週末は定年引退を迎える調教師5人がラストの戦い。阪急杯の
ショウナンアレスなど11頭を送り込む池添兼雄調教師(70)=栗東=は、長男の謙一騎手(43)=栗東・フリー=と対談。果たせなかった夢を次男の学調教師(42)との兄弟タッグに託した。
今週で調教師生活を終える池添兼調教師。親子タッグで華々しいラストを迎えたかったが、アク
シデントが襲ったのは昨年11月。阪神で騎乗していた長男の謙一が入線後に落馬し腰椎を骨折した。
謙一(以下、謙)「昨年11月にけがをして、全治6か月の診断を受けた。でも、父が引退する時には、厩舎の馬に乗りたいと思っていたので、リハビリの
モチベーションになりました」
兼雄調教師(以下、兼)「腰ですし、年齢的なものもあるので、無理はしてほしくなかった。ただ、自分の引退に合わせて復帰してくれたのは、うれしく思っています」
JRA通算433勝。親子で202勝をマークした。騎手デビューする息子を応援するため、調教師試験の勉強に本腰を入れた経緯もある。
兼「それまでも試験は受けていましたが、謙一がジョッキーになるというので、必死にならないと受からないと思い真剣に取り組みました。ジョッキーになるなら
バックアップしたい、応援したいと思った」
謙「経緯はジョッキーになってしばらくして母に聞きました。ありがたいなと思いましたが、僕の一年目からやってくれていれば、もうちょっと勝てたんじゃないかな(笑い)」
調教師として開業した1999年。忘れられない一頭がデビューする。
ヤマカツスズラン。阪神3歳牝馬S(現阪神JF)をキネーンで勝利し、唯一のJRA・G1のタイトルをもたらした。
謙「自分が乗る予定だったのに、自分のミスで騎乗停止【注】になってしまって…。結果、そこを逃してしまったのは悔やまれる。父の馬でG1のタイトルを取れなかったのが唯一の心残り。
プライドキムで交流G1(04年全日本2歳優駿)は取っているんですけどね」
兼「謙一にしろ(松山)弘平にしろG1には使ってはいるけど、
グリグリの本命になる馬をつくれなかったのは心残り。ただ親子でたくさん重賞を取らせてもらいました」
思い出のレースは意外にも競走中止に終わった11年天皇賞・秋の
メイショウベルーガ。
メイショウテンゲン(19年報知杯弥生賞)、
メイショウミモザ(22年阪神牝馬S)の母でもある。
兼「重賞も2勝しましたが、勝った時よりも止めてくれた時。もしそのまま走らせていて予後不良になっていたら、テンゲンや
ミモザは出てきていない。母親にさせてくれたジョッキーの判断には感謝しかない」
謙「たぶん、ずっと乗っていた僕じゃなかったら分からなかったと思います。一瞬の歩様の乱れでしたから。命が助かって良かったと思いますし、
ミモザが母親になって
ベルーガの血を残せるのはうれしい」
父の背中を追うように競馬
サークルに入った息子。2人はどういう親子関係だったのか。
兼「厳しかったと思います。(武)豊くんに憧れて、ジョッキーになりたいと言うので、目が悪くなったらダメだからテレビゲームも絶対にさせなかったし、炭酸飲料とか飲ませなかった」
謙「厳しかったですよ。(当時)ジョッキーで減量が大変だったのかピリピリしていましたし、飲めるのはお茶か牛乳でしたから…(苦笑い)。ただ、僕もこの世界に入ってから相談するようになって、尊敬に変わりました」
兼「鶴留厩舎でいい馬に恵まれて、
スイープトウショウでもG1を勝たせてもらって。ジョッキーとしては毎年力を付け、
オルフェーヴルで3冠。癖のある馬を乗りこなして大したものですね」
最後にお互いにメッセージを送ってもらった。
謙「まずはお疲れさまですね。引退した後は、のんびりするみたいですが、厩舎から調教師が4人出てますし、弘平と僕もいるので、週末の楽しみはあると思う。馬券を当てて、ご飯おごってくれればいいかな(笑い)」
兼「どうしてもひいきして買ってしまうから、馬券は当たらないんじゃないかな。今後もけがのないように体に気を付けてやってくれれば。いい馬と巡り合えたら応援しがいもある。あとは学と活躍してほしいですね」
謙「父とは無理だったので、弟とはG1を取りたい。まだ何年もあると思いますから」
親子で果たせなかったG1奪取を弟の学調教師と目指す息子と見守る父。夢はまだ終わらない。(取材・構成=戸田和彦)
【注】99年11月14日の京都4Rで騎乗馬が斜行し、他馬の走行を妨害。同20日から阪神3歳牝馬Sの行われた12月5日までの騎乗停止処分を受けた。
◆池添 兼雄(いけぞえ・かねお)1952年10月22日、鹿児島県生まれ。70歳。栗東所属。74年に大久保石松厩舎からJRA騎手デビュー。84年の中山大障害・春を
メジロジュピターで制すなど、JRA通算1587戦185勝(うち障害763戦130勝)で92年に引退。同年3月から鶴留明雄厩舎で調教助手に転身し、97年に調教師免許を取得。99年3月に開業。次男・池添学調教師や上村調教師、茶木調教師、橋口調教師も調教助手として所属。所属騎手だった松山弘平もトップジョッキーの仲間入りを果たしている。JRA通算6247戦433勝。重賞はG1・1勝を含む18勝。