93年の有馬記念でトウカイテイオー(中)と好勝負を演じたナイスネイチャ(右)
91〜93年の有馬記念で3年連続の3着など、“善戦マン”として人気があった個性派、ナイスネイチャ(セン、父ナイスダンサー)が30日午後12時40分、けい養先の北海道浦河町・渡辺牧場で死んだ。35歳だった。存命のJRA重賞ホースでは最高齢だった。
あえて表現するとすれば「史上最強の善戦ホース」。ただ、そんな堅苦しい代名詞より、ありふれてはいるが、ある言葉が浮かんできた。「ファンから深く愛された馬」―。
3歳の夏、小倉記念を快勝して臨んだ京都新聞杯(当時は菊花賞
トライアル)。強烈な末脚で突き抜けた。菊花賞は本命視されたが結果は4着。ここから「悲願のG1制覇」というフレーズを背負って約5年間にわたり、負けても、負けても、声援を受け続けた。
5年連続で出走した有馬記念。6回目を目前にした1996年の暮れ、競走生活にピリオドを打った。厩舎スペースで担当厩務員の馬場秀輝さんが、引き手を離してもおとなしく立っていた。「もう、闘争心がなくなっているんだな。本当にお疲れさん」。松永善晴調教師の言葉が響いた。
25年前に交通事故で旅立たれた馬場さんと、天国で再会を果たしている頃かもしれない。記憶にも記録にも残る名馬だった。(編集委員・吉田 哲也)