“ファンの皆さまがあってこそ”-。14日に現役引退を発表した的場文男騎手(68)=東京都騎手会=の記者会見が17日、大井競馬場で行われた。半世紀余に及ぶ長いジョッキー生活を振り返り、「決して一人ではできなかったこと。全てファンの皆さまや関係者の皆さまのおかげ」と感謝の言葉を繰り返した。やり切った男に涙はなかった。なお、本人からの申し出で痛めた膝の調子が悪く、引退式を行う予定はない。
引退を発表してから3日、長年苦楽をともにしてきた「赤、胴白星散らし」の勝負服に身を包んだ的場文が、集まった多くの報道陣の前に姿を現し、「ファンの皆さま、関係者の皆さまには感謝でいっぱいです」と深々と頭を下げた。
73年のデビューから半世紀余。多くのケガにも悩まされながら、その都度モンスターのようによみがえり、常に一線に立って戦ってきた。満身創痍(そうい)の中で積み重ねた白星は国内最多の7424勝(他にJRA4勝、海外1勝)。大記録の存在が長年騎乗できた一つの要因にもなった。
「(佐々木)竹見さんの記録なんて無理だよ」と話していた当時の国内最多V記録も、その数字が日に日に近づくにつれて「6000ぐらいになって“オッ”と思って、7000になった時に“あと151”ならいけるんじゃないか」と、当時の61歳はもうひと踏ん張り。「目標があったから(長く)乗れたんだと思う」と言い切った。62歳で「雲の上の存在」だった“佐々木竹見超え”に成功し、日本一の白星を挙げたジョッキーになった。
もう一つの大きな目標だった東京ダービー制覇は夢のままに終わったが、「できれば1回勝ちたかったけど、2着10回(39回騎乗)も記録じゃないかな」と胸を張り、「なかなか中央の馬に勝つのが難しい時代。
ハシルショウグン、コンサートボーイ、
ボンネビルレコードで帝王賞に3回勝てたのは誇り」と笑顔を見せた。
最後の直線で、上体を激しく上下させて愛馬を?咤(しった)激励する“的場ダンス”はもう見られない。それでもそのシーンの記憶はいつまでも鮮明に残るだろう。長い長い間、お疲れさまでした、的場騎手。