44歳で競馬界に飛び込んだ馬術エリート 安達厩舎竹内助手「やっぱり自分には馬しかない」退職時に一念発起

2025年05月20日 06:00

 一念発起して競馬の世界に飛び込んだ竹内彰秀助手

 少子化のこのご時世。多くの業界に言えることだが、競馬界も例に漏れず慢性的な人手不足にある。人材確保のため、JRAでは19年に競馬学校厩務員課程の入学条件としてあった年齢制限を撤廃。以前よりも門戸は広がっている。今年の5月に栗東トレセンへ入った安達厩舎の竹内彰秀助手は、81年生まれで現在44歳。トレセン自体は全くの未経験だったが、新たなチャレンジに足を踏み出している。

 馬との出会いは中学生だったという竹内助手。「きっかけはダビスタ。それにいとこも競馬好きでした」。体験乗馬をきっかけにどっぷりと馬の魅力にハマり、中学からは地元の乗馬クラブに通い始めた。「自分が乗り始めたら競馬はあんまり見なくなったんです。そこからは乗る方が楽しかった」。大学では名門の京都産業大馬術部に入部。大学卒業後は、そのまま大手乗馬クラブに入社して20年近く勤務した。「当時はオリンピックを目指してました。全くそんなレベルまで、たどり着かなかったですけど」と謙遜するが、複数の国体で入賞経験がある馬術エリートでもある。

 全くの畑違いというわけではないが、競馬の世界に飛び込むのは勇気のいる大きな決断だろう。前職を退職した時には乗馬クラブの独立なども考えたと言うが、「いろいろあってうまくいかなったんです。家族もいるし、自分に何ができるかと考えて、やっぱり自分には馬しかない」と一念発起。競馬学校の門を叩いた。卒業後は牧場勤務も経て、少年時代に一度は夢見た競馬の世界に戻ってきた。「自分の年齢や体格、学校を卒業しても採用してもらえるのか不安はありましたけど、今は仕事が楽しくて本当に入って良かったなと思っています。安達先生にもすごく感謝しています」とにっこり笑う。

 初めて担当馬を送り出したのは、今月4日の京都6R・4歳上1勝クラス(ニホンピロマリンバ)。結果は7頭立ての7着だったが「すごく感動して泣きそうになりました。馬が命懸けで走ってくれている。これって厩務員をやっていないと感じられない感動っていうか、馬あってのものだなって」と感慨深げだ。

 もちろん竹内助手の挑戦、新たな仕事は始まったばかり。「乗馬と違ってコントロールし過ぎるのも良くない、闘争心も大事なのかなと。かといって、全くコントロールできないのがいいかというと絶対そうではない。馬が走っている時の人間の重心の位置も、いろいろと考えないといけないですね。馬術の乗り方だと、馬が走ろうとした時もけんかになってしまうんじゃないかという感覚があって、その辺を競馬の乗り方にシフトする必要はありそうです。まだまだうまく乗れているという感覚はないですね」。そう真剣に語る竹内助手の表情は純粋で熱っぽい。「馬が無事というのはもちろん、馬術で培ってきた経験を生かして、強い馬をつくれるような厩舎スタッフを目指していきたい」。オールドルーキーのこれからの歩みを追い掛けたい。(デイリースポーツ・島田敬将)

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