痛恨のロスから瞬時の加速 先々の大活躍を感じさせた30年前のいちょうS

2025年10月07日 08:30

95年のいちょうSを制したエアグルーヴ(95年10月撮影、ユーザー提供:kjytdirtes bhtjafさん)

 サウジアラビアRCは勝ち馬から5頭のG1馬が誕生している出世レースだが、オールドファンには前身の「いちょうS」のレース名で馴染みがあるのではないか。そんな一戦でとりわけ印象的だったのが95年。後の名牝エアグルーヴが大きな不利を克服して勝利した戦いを振り返る。

 エアグルーヴは父トニービン、母ダイナカール、母の父ノーザンテーストの血統。88年の凱旋門賞を制した父の4世代目の産駒であり、83年のオークス馬である母の4番仔だった。95年夏に札幌でデビュー。初戦は2着だったが、折り返しの新馬を圧勝。休みを挟み、秋の東京のいちょうSに駒を進めた。

 武豊騎手とのコンビ継続で挑んだ一戦、エアグルーヴは単勝2.2倍の1番人気に推された。最内枠から道中は好位のインを追走。盤石の競馬に思えたが、直線で前が詰まってしまう。残り300m、武豊騎手はラチ沿いに進路を取ったが、狭くなって大きく頭を上げる痛恨のロス。多くのファンが「これは厳しい…」と思ったはずだ。しかし、ここからが見せ場だった。残り200mから再び追い出されると瞬時に加速。あっさりと先行勢を交わすと、最後は2着のマウンテンストーンに1馬身差をつけてゴールを駆け抜けたのだ。まさに着差以上の完勝。多くのファンに「来年のクラシック候補誕生」と思わせたのだった。

 その後のエアグルーヴの活躍は、多くのファンが知るところだ。96年にオークス、97年に天皇賞(秋)を制するなど、牡馬とも互角に戦い、90年代後半を代表する名牝となった。そして繁殖としてもアドマイヤグルーヴルーラーシップを送り出して大成功。既に孫や曾孫の代も走っている。その血はいつまでも日本の血統地図で輝き続けるに違いない。

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