「日高の馬で有馬記念を勝つ」。どこかで聞いたフレーズだが、それを10年前にやってのけた偉大な馬を紹介したい。
ゴールドアクターである。
アルゼンチン共和国杯を含む3連勝で15年
グランプリに駒を進めたが、8番人気の伏兵に過ぎなかった。
父はスクリーンヒーロー。初年度からこの
ゴールドアクターと
モーリスが出て、世間をあっと言わせたが、種牡馬入り当初の期待度はそこまで高くはなかった。
そもそも、
ゴールドアクターは“いい障害馬をつくろう”との狙いで生産された馬だった。
当時90歳の居城(いしろ)要オーナーに代わって中山に来場していた長男の寿与(ひさよ)氏が解説した。「母ヘイロンシンは障害で実績(豊国ジャンプSなど2勝)を挙げた。だから、いい障害馬をつくろうと思い、スタミナのありそうなスクリーンヒーローをつけたんです」
そんな意図など、どこ吹く風。馬主歴50年のオーナーに初重賞をプレゼントした孝行馬は、その勢いで
グランプリのゲートに収まった。
道中は3番手を追走。勝負どころで外から1番人気の
ゴールドシップが上昇したが、鞍上・吉田隼人は冷静に脚をため続けた。直線を向く。前を行くのは
キタサンブラックと
マリアライト。坂で追いつく
ゴールドアクター。残り100メートルで先頭だ。外から迫る
サウンズオブアース。だが、
ゴールドアクターが首差、踏ん張った。
デビュー12年目でのG1初制覇。吉田隼は「ここを勝たなければ、もうチャンスはないと思っていた」
有馬記念の1カ月前、11月29日の東京。馬場入場時に他馬に蹴られ、右膝蓋(しつがい)骨を亀裂骨折した。全治6週間の診断。だが、アルゼンチン共和国杯を制し、有馬記念へと向かう相棒の鞍上の座を失うわけにはいかなかった。超音波治療、酸素
カプセル。手を尽くし、何とか大一番の騎乗に間に合わせた。
居城寿与氏は、高齢のため自宅観戦となった、オーナーである父に呼びかけた。「生きているうちに(G1を)勝てて良かった。オヤジおめでとう、という気持ちです」。障害を飛ばせたくてつくった馬がディープインパクト、キングカメハメハ産駒を蹴散らして
グランプリを勝つ。まさにドラマを見ているような、痛快な有馬記念だった。