1997年の天皇賞・秋を制したエアグルーヴ(撮影:下野雄規)
豪華メンバーが集結した今年の天皇賞。ディアドラが回避し、牝馬はヴィブロス1頭が出走を予定している。1997年はエアグルーヴが牡馬を抑えて頂点に立ったが、ゴール前は激しい追い比べとなった。「平成天皇賞・秋 名勝負列伝」、今回はその1997年を振り返る。
■バブルガムフェローの連覇の夢を打ち砕いた女傑エアグルーヴ
1997年の天皇賞・秋は、サクラローレルとマヤノトップガンが、故障により一週違いで引退を発表、マーベラスサンデーは宝塚記念を勝ったもののレース中の骨折が判明し休養中と、古馬のトップクラスが不在だった。そんななか1番人気は、前年の天皇賞・秋を3歳で制し連覇を狙うバブルガムフェロー、エアグルーヴは2番人気に支持された。
エアグルーヴは、管理する伊藤雄二調教師が、産まれた翌日に牧場でその姿を初めて見たとき「男ならダービー馬だな」と呟いたことで有名だ。その見立てに違わぬ競走能力と精神力の高さを発揮し、母娘2代によるオークス制覇を成し遂げた。ところが、秋華賞はレース中に右前脚を骨折、長期休養を余儀なくされる。
4歳になったエアグルーヴは秋華賞から8か月後のマーメイドSで復帰戦を快勝で飾ると、次戦の札幌記念を連勝。しかも、この札幌記念で2馬身半差の2着に退けたのはエアグルーヴが骨折した秋華賞で2着したエリモシック、また4着は一世代上の皐月賞馬ジェニュインだった。札幌記念の前に、ジェニュインと互角のレースができるなら男馬のレースで戦わせようと考えていた伊藤雄師は、この勝利で天皇賞・秋への参戦を決めたという。
ただ、バブルガムフェローも春のグランプリ・宝塚記念での2着から前哨戦の毎日王冠を勝ち、仕上がりは万全だった。単勝オッズは、バブルガムフェローの1.5倍に対して、エアグルーヴが4.0倍。レース前の評価の差は明らかだった。
ゲートが開くと、予想通りサイレンススズカがハナを切り、バブルガムフェローは3番手、エアグルーヴは6〜7番手、その内にはロイヤルタッチ、さらに内のラチ沿いをジェニュイン追走する。1000m通過が58.5秒というハイペースで場内のファンが沸くなか、サイレンスズカの軽快な逃げは、直線を向いても続く。そこへ、馬群の中ほどからバブルガムフェローが先にスパートを開始すると、1馬身後ろからエアグルーヴが追いかける。残り200mを過ぎてサイレンススズカを交わした2頭は激しく競り合い、一旦は半馬身ほど前に出たエアグルーヴをバブルガムフェローが差し返す。しかしゴール前で再度、エアグルーヴが前に出て勝負は決した。
エアグルーヴの天皇賞・秋制覇は、牝馬として17年ぶり。同時に2000mに距離短縮されてから初めての牝馬の優勝でもあった。ただ、伊藤雄師はこの記録に「牝馬という点で騒がれているが、海外ではよくあること。強い馬は性別に関係なく強いということでしょう」と語り、意に介さなかったようだ。
性別を超えたゴール前の一騎打ちは、3着のジェニュインを5馬身も突き放し、完全に2頭の世界だった。そして、女傑エアグルーヴのクビ差勝利で幕を閉じたのである。