【チャンピオンズC】悲願の中央GI制覇を遂げた2014年ホッコータルマエ/砂の頂上決戦ヒストリー

2018年12月02日 09:30

3度目の挑戦でチャンピオンズカップを制したホッコータルマエ

 ジャパンカップダートからチャンピオンズカップへと名称が変更され、舞台が中京競馬場へ移ったのは2014年のこと。その年の優勝馬は、3年目の挑戦でタイトルを手にした。「チャンピオンズCヒストリー」の最終回は、ホッコータルマエをお送りする。

■3年連続出走で悲願のJRA・GI初勝利

 最初のジャパンカップダートは2012年の第13回、3歳のときだった。この年は9番人気の低評価。しかしレースでは、2番手につけると徐々に差を詰め、直線に入り先頭へ躍り出る。最後は力尽きたが3着を確保し、今後への期待が膨らんだ。

 その後のホッコータルマエは期待通りに力をつけていった。翌2013年は佐賀記念から帝王賞まで重賞を5連勝。南部杯こそ2着に敗れるも、JBCクラシック(金沢2100m)では前年のJBCクラシック覇者で、ジャパンカップダートでは半馬身先着を許したワンダーアキュートの追撃を退け、レコードタイムで逃げ切り勝ちをおさめるのである。

 好調のなか、第14回ジャパンカップダートへ。単勝オッズは1.9倍と人気は他馬を圧倒した。前年同様、エスポワールシチーがハナを切る。ホッコータルマエは2番手を進み、手ごたえ十分で直線を向くと残り300mで先頭に立つ。ところが、ゴール手前でベルシャザールとワンダーアキュートに交わされ、3着でレースを終えた。

 このジャパンカップダートは差し有利で、展開が向かずの敗戦でもあった。その証拠に、年末の東京大賞典と年明けの川崎記念は連勝し、フェブラリーSは2着している。その後、初の海外遠征だったドバイワールドカップ(16着)は、レース後に体調を崩して現地で入院するアクシデントもあった。そのため、初めて7か月という長期休養を挟む。復帰戦のJBCクラシック(盛岡2000m)は4着。ただ、叩いた効果と万全の仕上げで、陣営は舞台が中京(ダート1800m)に替わった第15回チャンピオンズカップへ、ホッコータルマエを送り出した。

 出走16頭すべてが重賞ウィナー、さらに10頭がGIとJpnI 勝ちという豪華メンバーで2番人気に支持されたホッコータルマエ。ライバルは、その年のフェブラリーSとJBCクラシックを制したコパノリッキーのはずだった。

 ところが、コパノリッキーは出負けして後方から、ホッコータルマエは三たび2番手を追走する。スローペースのなか勝負どころで先頭に並びかけると、直線ではローマンレジェンドと抜け出し、2頭の叩き合いに。そこから幸英明騎手の渾身のムチに応え力強く伸びると、ゴール手前で迫るナムラビクターも振り切り、先頭でゴールした。

 5戦目からコンビを組んできた幸騎手は、関係者と喜びを分かち合いながらウルっときたというが、インタビューでは「ゲート次第と思っていたが、いい位置を取れた。直線は必死の思いで追った。中央のGIを勝つことができてホッとしています」と笑顔を見せた。こうして、ジャパンカップダートは2年連続3着、フェブラリーSも2着というJRA・GIでの惜敗続きに終止符を打った。

 チャンピオンズCは翌年も出走し5着。このチャンピオンズC4年連続出走のほか、2013年かしわ記念からラストランの2016年JBCクラシックまで23戦連続GI出走、ドバイワールドカップ3年連続出走など、タフに走り続けたホッコータルマエ。また、国内で掲示板を外したのは新馬戦と500万特別の2回だけという、大崩れのない精神力の強さも凄みのひとつだった。

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