20日17時10分、病気加療中だった元JRA調教師の松山吉三郎氏が、肺炎のため東京都港区の病院で死去した。享年89歳。葬儀・告別式は27日正午から府中市浅間町1の3、府中の森市民聖苑第3式場で行われる予定。喪主は妻ナカ子さん。
松山吉三郎(まつやま きちさぶろう)氏は1917年鹿児島県生まれ。34年に騎手デビューしたが目立った活躍はできず、50年に調教師免許を取得。スウヰイスー(52年オークス、52年桜花賞)、トサオー(59年天皇賞・春)、スターロッチ(60年オークス、60年有馬記念)、フエアーウイン(62年日本ダービー)、モンテプリンス(82年天皇賞・春)、モンテファスト(84年天皇賞・春-GI)、ダイナガリバー(86年日本ダービー-GI)など多くの名馬を送り出した。56年、58年には全国リーディングを獲得。通算成績は9157戦1358勝(重賞55勝)で、尾形藤吉に次ぐJRA史上第2位の記録。 94年に引退し、04年には調教師顕彰者として殿堂入りしている。ミスターシービー、ジェニュインなどを管理した松山康久調教師は息子にあたる。