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23歳・田島良保氏はヒカルイマイをただただ信じた 1971年日本ダービーを振り返る

2021年05月24日 06:34

 当時を懐かしむ田島良保氏(撮影・石湯恒介)

 これまで数々の名場面が繰り広げられた競馬の祭典「日本ダービー」。中でも1941年セントライト、51年トキノミノルなど、“○○○1年”の開催では印象に残る名馬、ドラマが誕生した。この連載では、1971年から2011年までの5回にスポットを当てる。第1回は71年、騎手として中央競馬史上最年少で制したヒカルイマイの田島良保氏に、当時を振り返ってもらった。

  ◇  ◇

 私がダービーを勝ったのは71年。当時23歳で初参戦でした。コンビを組んだヒカルイマイは、きゃしゃな体でトモが甘かったし、馬場に入るまでは立ち上がったりしてうるさくてね。でも、入ってしまえば優等生。とても賢い馬でしたよ。

 今思えば、緊張していたと思います。何せ初めてのダービーで、28頭立て。まずは“不利を受けないこと”を第一に考えました。ほかにも、戦前にはレースプランを色々と思い巡らせましたが…結局は出たとこ勝負でしたね(笑)。でも逆にそれがいい意味で開き直りになった。最終的には“馬を信じるしかない。走るのは馬だ!”と言い聞かせて、腹をくくって乗りました。

 スタートは普通に出ましたが、腰が甘くて仕掛けて行くと良くないタイプでしたから、道中はじっくり運びました。あの馬のペースを守りさえすれば、必ず最後に伸びてくれると信じていました。

 とにかく歓声がすごかった。1コーナーを曲がる時、地鳴りがすごくて地面が割れるのでは?と錯覚を起こすぐらいでした。そんな中でも、道中は馬のペースを守って折り合いに専念。大胆な騎乗に思われたかも知れませんが、それがあの位置取りになったまでなんです。馬の力を信じて乗ったことが、勝利に結びつきました。23歳の私を信じて乗せてくださった谷八郎先生への感謝は尽きません。

 今年の主役とも言える横山武史君は、非常に爽やかで、本当に競馬を楽しんで乗っているように感じます。フォームがきれいで気迫も伝わる。見ていて「また来るんじゃないか?」と思わせる雰囲気を持っていますよね。彼を見ていると、日本の騎手も世界に通用するレベルに近づいてきたな、と感じます。

 次のダービーを勝てば、私の記録を抜いて戦後の史上最年少ダービージョッキーに。私としては“記録は破られるためにある”と思っていますし、素晴らしい技術を持った彼ならやってくれるのでは、と期待していますよ。ぜひ記録を塗り替えてほしいですね。

 ◆田島良保(たじま・よしやす)1947年10月17日、鹿児島県出身。66年に騎手免許を取得し、71年ダービーを中央競馬史上最年少となる23歳7カ月で制した。JRA通算7789戦817勝(うちG1級レース7勝を含む重賞40勝)の戦績で92年に引退し、93年に調教師へ転身。JRA通算3993戦292勝(うち重賞5勝)の成績を残して2013年9月に勇退した。騎手時代は断然人気馬を負かすことが多く“必殺仕事人”の異名をとった。

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