95年の報知杯弥生賞で2着のホッカイルソー(左7番、蛯名正義騎手)。勝ったのはフジキセキ(右9番)
96年の日経賞、99年のオールカマーなど重賞2勝を挙げ、G1戦線で“いぶし銀”の活躍を見せたホッカイルソー(父マークオブディスティンクション)が10月20日、死んだ。同馬をけい養していたダーレー・
ジャパンがこの日、公式X(旧ツイッター)で発表した。31歳だった。
ホッカイルソーは、美浦・田中清隆厩舎から94年9月にデビューして、3戦目で初勝利を挙げた。95年の皐月賞、日本ダービーでは、いずれも4着に健闘しており、マヤノトップガンが制した同年の菊花賞では後方から追い込んで7番人気ながら3着に好走した。その後も96年の天皇賞・春では、サクラローレル、ナリタブライアンに続く3着などG1、重賞戦線で活躍。その後は3年近いブランクを乗り越えて99年春に復帰し、同年秋にはオールカマーを制覇。ラストランとなった2000年の天皇賞・春で5着になり、多くのファンに愛されてターフを去った。通算28戦5勝(重賞2勝)。