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勝因は「馬」一貫して謙虚な振る舞いを見せた河内氏

2025年05月02日 05:05

98年天皇賞・春を制したメジロブライト

 【競馬人生劇場・平松さとし】今春、定年により引退した河内洋元調教師。ジョッキー時代は、武豊騎手に「若い頃はよくマネをさせてもらいました」と言わせたほどの名手だった。ダービー馬アグネスフライトや初代3冠牝馬メジロラモーヌ、デビュー当初のオグリキャップ、ニホンピロウイナー、さらにはニシノフラワーダイイチルビーなどなど。河内騎手と共にG1やG1級レースを制した馬は枚挙にいとまがなかった。中でも個人的に強く印象に残っているのがメジロブライトだ。

 河内騎手がこの馬に騎乗するようになったのは、97年のG2スポーツニッポン賞ステイヤーズS。同馬はすでにデビューから10戦を消化し、G3・2勝を含む3勝を挙げていたが、G1ダービーで3着に敗れるなど惜しいレースも多かった。「ゲートが悪くて出遅れる分、惜敗するイメージでした」。その課題を意識しつつ、河内騎手は互角のスタートを決め、最後は2着に1秒8もの大差をつけて快勝してみせた。

 しかし、驚きはここからだった。鞍上に河内騎手を迎えたメジロブライトはその後、無類の強さを見せ始めた。翌98年にはG2AJC杯を勝ち、続くG2阪神大賞典も制覇。そして迎えた天皇賞・春では、2着に2馬身差をつけて勝利。河内騎手とのコンビで4戦全勝を記録し、念願のG1初制覇を飾ったのだった。

 「天皇賞に関しては、セオリー通りに位置取りや折り合いなど“ちゃんと”乗ってあげただけです。3200メートルの天皇賞制覇を目標にしていたメジロ牧場(馬主兼生産者)の馬で勝ててよかったです」

 勝因を決して自分の手柄にはせず「馬が力を出してくれた」と語る姿勢は、メジロブライトに限らず、どの馬に対しても一貫していた河内騎手らしい振る舞いだった。さて、そんな天皇賞・春が今年も今週末に迫った。河内さんの名もメジロの名ももうないが、新たな歴史は今も途切れることなく紡がれている。淀の3200メートルに注目しよう。 (フリーライター)

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