96年に当時の史上最高価格となる総額44億2800万円のシンジケートが組まれた名馬ラムタラ。その産駒は思ったような成績を残せなかったが、唯一JRAの平地重賞を制したのが
メイショウラムセスだった。彼が鮮やかな差し切りを決めた02年の富士Sを振り返る。
メイショウラムセスは父ラムタラ、母メイショウヤエガキ、母の父クリエイターの血統。ともにオープンで活躍した母、そして祖母の
コニーストンと同じく、名門・伊藤雄二厩舎からデビューした。3歳春にオープンの菩提樹Sを制覇。その後、一旦は1000万下に降級となったものの、すぐにオープンに返り咲き。昇級戦となったポートアイランドSを2着にまとめると、4戦ぶりの重賞チャレンジとなる富士Sに向かった。
大混戦と目された一戦、
メイショウラムセスは僅差で1番人気に推された。道中は中団馬群で追走。そして直線で外目に進路を取ると、柴田善臣騎手の右ムチに応えて、ジワジワと脚を伸ばした。1頭、また1頭と交わすと、残り50mで押し切りを図る
ミデオンビットを捕らえて先頭でゴール。自身はもちろん、父にとっても初のタイトルを届けたのだった。
残念ながら
メイショウラムセスはこれが最後の勝利となり、父は06年にイギリスに売却されて14年に死んだ。また、「メイ
ショウ」の松本好雄オーナーも今年の8月29日に死去。時の流れを感じずにはいられないが、今一度、このレースを見返してみてはいかがだろうか。