水曜企画「G1追Q探Q!」は、担当記者が出走馬の陣営に聞きたかった質問をぶつけて本音に迫る。秋の最強牝馬決定戦「第50回エリザベス女王杯」は東京本社の万哲こと小田哲也(57)が担当。G1挑戦7度目の5歳馬
シンリョクカを送り出す竹内正洋師(46)を徹底取材した。2歳秋の22年10月の新馬Vから迎える4年目の秋。「出合い」「感謝」「大一番への思い」の3テーマに迫った。
22年10月、秋の東京新馬戦Vデビューから迎える4年目の秋。厩舎を支える
シンリョクカと初めて合った時の印象を、竹内師は鮮明に覚えている。生まれて間もない20年3月初旬。ひと目ぼれだった。「毎年、オーナー(由井健太郎氏)とは一緒に下河辺牧場(北海道日高町)に行って、当歳馬を見させてもらっているんです。体の
バランスが良くて、手先が軽くて、本当にいい馬でした。オーナーにも、ぜひとお勧めしました」
菊花賞馬
サトノダイヤモンド産駒の第1世代。入厩が決まると、期待通りに
スクスク育った。新馬は3馬身半差で楽勝。2戦目でG1・阪神JFに勇躍挑むことになった。新馬で騎乗した吉田豊は当日、香港カップ(
パンサラッサ)に騎乗するため、木幡初が手綱を取った。12番人気と評価は低かったが、中団から内寄りをしぶとく伸びて2着。優勝した
リバティアイランドから2馬身半差で続く堂々の銀メダルだった。
「2歳の頃から気も良くて、調教も順調に進みました。体は大きくならなかったけど…。阪神JFは内でうまく競馬をしましたが、あの相手に2着ですから大したものです。体力的なものを考え、初めは1600メートルを使っていましたが、血統的にも、距離が延びていいとずっと思っていました」
阪神JF2着で賞金を加算し、3歳春は堂々と牝馬クラシック戦線を歩んだ。桜花賞6着、オークスは5着。精いっぱい頑張った。転機は3歳夏に訪れた。秋初戦の府中牝馬S(10着)は結果は伴わなかったが、オークスから「20キロ増」と馬体重が大きく増えた。
「持って生まれた長所だと思います。成長しましたね。お父さん(
サトノダイヤモンド)の子は夏を越して成長する馬も多いようなので…。3歳春までは調教でも走り過ぎないように抑えて抑えてという感じでしたけど、安心して攻められるようになりました」
歓喜の瞬間は昨年9月の新潟記念で訪れた。前走・福島牝馬Sで前の馬に触れて転倒し、軽度の骨折からの休み明けだった。2番手から粘り通して鼻差で悲願の重賞初V。21年6月から所属になっていた継続騎乗の愛弟子・木幡初は18度目、指揮官は延べ55頭目の重賞挑戦で悲願成就だった。「正直、福島でああいうこと(落馬)があった後で…。それにレース当日は元気がなくて半信半疑でした。今思うと、馬の雰囲気は今夏の新潟記念(4着)も同じ感じで、レースに影響しない程度の暑さが原因だったかも。オーナーもとても喜んでいました。勝負強さがこの馬の素晴らしさです」
新潟記念→エリザベス女王杯は昨年と同じローテ。阪神、京都、新潟など、牝馬ならネックになりかねない長距離輸送への強さも足かけ4年の長い活躍を支えている。「5歳になって多少落ち着きは出てきましたが闘争心は全く衰えていません。輸送に強い?動じないんです。競馬場にいる時が一番おとなしいぐらい。レースでは、狭いところに入っても大丈夫。負けずに頑張ってくれるんです」
昨秋のエリザベス女王杯(4着)は2番手から粘りに粘って、優勝した
スタニングローズから0秒5差。
レガレイラ(当時5着)に鼻差先着と奮闘した。愛馬には毎週のように調教で騎乗し、5日の1週前追いも自ら感触をつかんだ。
「前走の新潟記念は強い相手にハンデも背負っていた中、頑張った。(1週前追いは)前に届くかな?という感じから、しっかり伸びた。昨年の女王杯より一段上の状態で挑めると思います。昨年の上位馬3頭はいません。その代わり、新たに出てきた馬はいますけど…。(3度目となる)エリザベス女王杯は
シンリョクカにとって一番適しているG1。きっちりチャンスをモノにしたいと思います」
5年前の春。まだ、しびれる寒さだった日?での愛馬との初対面を思い起こして目を輝かせ、今秋も愛弟子に手綱を託している。
◇竹内 正洋(たけうち・まさひろ)1979年(昭54)1月11日生まれ、千葉県出身の46歳。06年4月JRA競馬学校厩務員課程に入学。同年10月から美浦・国枝栄厩舎で厩務員、同11月から矢野照正厩舎で調教助手、14年3月から奥村武厩舎で調教助手。14年12月に調教師試験に合格し、15年3月に厩舎開業。JRA初勝利は同年7月11日の函館6R・
ペイシャオトメ(延べ62頭目)。JRA通算2687戦163勝(11日現在)。同重賞勝ちは昨年新潟記念(
シンリョクカ)の1勝。
《馬名由来は「心力歌」》
シンリョクカの馬名の由来はJRA公式サイトでは「心力歌」と記されている。オーナーの由井健太郎氏の出身校・成蹊大で毎日音読される心力歌(こゝろの力)に由来する。学園創立者の中村春二氏が1913年(大2)、当時成蹊実務学校の教師だった小林一郎氏に記述を依頼して作成した、精神修養のための8章からなる漢文調の美文で、心の働きの霊妙偉大なことを歌っているという。ちなみに、竹内師は
シンリョクカのことを「長い馬名ではないので、
シンリョクカと呼んでいます」と心を込めて、フルネームで接している。
【取材後記】竹内師は、競馬専門紙「競馬ブック」の南関東担当の名物記者の父・康光さんの後を追って、競馬の道を志した。中学3年の時にJRA競馬学校の騎手課程を受験したが不合格。「急に体が大きくなって…。それでも現場でやりたかった。ならば調教師を」。志に迷いはなく、06年に同学校厩務員過程を経て、美浦トレセンへ。調教師試験は5度目の受験で14年末に合格した。直近3年は22年21勝、23年22勝、24年23勝(地方除く)と20勝超えの好成績。管理馬の調教にも精力的に騎乗している。
厩舎の目標は?の問いに「リーディングは獲りたいですけど」と前置きした上で「競馬関係者に認めてもらえるような厩舎です」と一呼吸置いて返ってきた。「あの馬、よく走らせているなあ。そう感じてもらえるような…」。数字だけではない。一頭一頭を大切にして、最大限の力を発揮できるように努めている。
「趣味?ゴルフもしないですし…。たまに、地方競馬の馬券を買うことですかね」。ニコニコ笑った。根っからのホースマン。接していて、心が自然と温かくなれる指揮官だからこそ、管理馬も元気に走るのだろう。(小田 哲也)