今年のマイルCS・G1(11月23日、京都競馬場・芝1600メートル)は、どんなドラマが生まれるのか。過去の名勝負・89年勝ち馬のオグリキャップ(南井騎乗)を振り返る。
1番人気で迎えた89年マイルCS。オグリキャップは馬群をさばくのに手間取り、残り100メートルでは先頭とは絶望的な差が開いており、万事休すの状態。そこから驚異的な末脚を見せ、バンブーメモリーを鼻差かわした。「負けたと思ったのに、何という馬。ありがとうと言いたい」とのちに南井はコメントしている。
その激戦から1週間後には、なんとジャパンカップに出走。それでも、芝2400メートルの当時の世界レコードとなる2分22秒2で駆け、
ホーリックスから首差の2着に入った。G1連闘という厳しいローテーションの中、ひたむきに走り続ける姿が世の中の共感を呼んだ。
これほどまでにドラマチックなサラブレッドは、いなかった。1985年3月27日、北海道三石町(現新ひだか町)にある稲葉牧場で誕生。子馬の右前脚の蹄(ひづめ)が外側に向いていた。競馬の専門用語でいう「外向」だった。人間でいえば、がに股やX脚にあたる。この症状は右前脚だけに見られたため、
バランスを崩して転倒。通常は誕生から1時間ほどで立ち上がるが、誕生時のオグリキャップは自力で立てず、乳を吸えなかった。しかし、競走馬として致命的に思われた前脚は、のちに武器になった。
1987年5月、地方競馬の岐阜・笠松競馬でデビュー。翌88年春に中央へ移籍し、初戦の
ペガサスSを河内(現調教師)を背に快勝した。ところがクラシック登録がなく、皐月賞、ダービーへの出走はかなわず。のちに、追加登録すればクラシックに出走できる現在のルールを作るきっかけとなった。
快進撃は続き、重賞の連勝は「6」に。マイナー血統の地方出身馬の痛快な出世物語は、ファンの心をつかんだ。秋の天皇賞、
ジャパンCは敗れたが、暮れの有馬記念のファン投票では、今もレコードとして残る19万7682票を獲得。期待に応えて優勝し、ついに「日本一」の座に就いた。翌89年には、当時のオーナーが脱税容疑で馬主登録を抹消される可能性があったため、近藤俊典氏へトレード。脚部不安を発症して春を全休するなど暗い話題に包まれたが、秋の激走が、オグリ人気をさらに
ヒートアップさせた。
90年は、武豊との
ゴールデンコンビで安田記念を優勝。その後、米国遠征が計画され、世界への飛躍が期待されたが、体調不良で断念。秋に、天皇賞、
ジャパンCを大敗すると、一転して限界説がささやかれた。それでも、再び武豊が騎乗した有馬記念で鮮やかに復活。同レース史上最高の17万7779人のファンが、その走りに酔った。
同年のJRAの売り上げは、前年から一気に5000億円も増え、初めて3兆円の大台に。バブル景気にも乗って、競馬人気を引っ張るアイドルだった。記録にも記憶にも残るサラブレッド。その思い出は、伝説として永遠に語り継がれていくに違いない。