◆第42回マイルCS・G1(11月23日、京都競馬場・芝1600メートル)
この道ひと筋47年。5つの厩舎を渡り歩いてきた大ベテラン・小川厩務員は、芦毛の人気者、
ガイアフォースと10度目のG1に挑む。前走の富士Sで約3年ぶりの復活V。「スタンドからの拍手がもう、ほんまに鳥肌もんやった。ありがたいし、改めて人気があるなと思った」としみじみ。厩舎に届くファンレターには、お礼の返信を欠かさない。
デビューから担当する
キタサンブラック産駒の素質を、初対面で見抜いた。「緩かったけど、高いレベルの馬っていうのは分かった。走りの格好が良かったな。いいところまで行くと思った」。普段は扱いやすいが、すぐに甘えにくるそうで、「甘噛みしたり、服を引っ張ったり。度が過ぎて、怒られると思ったらすぐに逃げていきよる」とカイバをもりもり食べる姿を笑顔で見守る。
「なかなかの馬をやってたんやで」。取り出した携帯電話に保存されていたのは、80年の日本ダービー馬オペックホースの口取り写真。トレセン2年目の17歳だった小川さんが手綱を持って寄り添っている。半世紀近く、試行錯誤しながら何百頭と携わってきたホースマン人生だった。「やっぱり毎日違うから。馬の表情や動きから、小さなことを見逃さない。ちょっとした傷の処置を怠って、フレグモーネ(皮下組織の急性化膿性疾患)になったり。そういうこともあるからね」。細部まで気を配り、大事に至る前に適切に対処することで、故障と隣り合わせの競走馬をサポートしてきた。
18年の目黒記念で開業3年目の杉山晴厩舎にJRA重賞初勝利をもたらした
ウインテンダネスも手がけた。「これで勢いが出てスタートダッシュがうまくいった。引き継いだ馬ばかりで、最初は大変だったからね」。G16勝を含むJRA重賞24勝を積み重ね、今年もリーディング首位を快走するトップステーブルを支えてきた腕利きだ。「最後にいい先生に巡りあえた。こういう舞台に立てる馬をやらせてもらってね」。一日一日、大切に愛情を注いできた相棒を信じ、歓喜の瞬間を待つ。(山本 理貴)
◆小川 雅之(おがわ・まさゆき)1962年9月24日、京都市伏見区生まれ。63歳。京都競馬場のすぐそばで育ち、少年時代は障害練習を見に通った。78年に栗東・佐藤勇厩舎で調教助手となり、谷潔厩舎、吉岡八郎厩舎、日吉正和厩舎を経て、同厩舎の解散とともに16年に開業した杉山晴紀厩舎へ。大好きな競輪は趣味ではなく「ライフワーク」。定年後の夢は「京都競馬場で一杯やりたい」。