「抽選馬の星」コーセイ、言葉を越えた信頼関係/馬と人の絆(2)

2013年08月09日 19:05

現在29歳のコーセイ(左、撮影:渡辺はるみ)、担当だった永井厩務員と現在担当の2歳馬ケイクエスト(右、撮影:佐々木祥恵)

 2013年夏の特別企画。担当馬に愛情を持って接している厩務員さんや調教助手さんと愛馬との「絆」をお届けします。普段なかなか知ることのできない、競馬の舞台裏。トレセンで日々取材しているライター陣が、とっておきの温かいエピソードをリレーでご紹介します(8月の毎週金曜公開)。今週は「美浦トレセンニュース」でお馴染みの佐々木祥恵さんです。

 現在はブリ―ズアップセールというセリ方式に姿を変えたが、かつては「抽選馬」という制度があった。抽選馬は安い馬というイメージが定着しており、活躍すると話題になっていた。その中の1頭にコーセイという牝馬がいた。父タイテエム譲りの、栗毛に四白大流星の派手な容姿を持つその馬は、重賞4勝の大活躍を見せ「抽選馬の星」と呼ばれていた。24年も前に引退した彼女だが、29歳になった今も北海道・浦河町で静かに余生を過ごしている。現役時代に担当だった永井智樹厩務員(現・杉浦宏昭厩舎)に、当時の記憶を掘り起こしてもらった。(※当時の馬齢表記を使用しています)

―17歳の厩務員―

 永井智樹が厩務員になったのは、1986年、17歳の時だった。配属された尾形盛次厩舎でいきなり任されたのが、当時連戦連勝のアラブのチャンピオン、ミトモスイセイ。

「この馬がライオンみたいに、ものすごくうるさい(笑)。ところが競馬の日だけ、噛みつくこともないし、朝から1日中大人しいの。競馬モードになるんだろうね。すごい馬だなと思った。でも世話する方にしてみたら、普段大人しくて、競馬の日だけうるさい方が良いけどね(笑)」

 そして3歳の牝馬が、もう1頭の担当馬として永井のもとにやってきた。抽選馬・コーセイだった。抽選馬とは、JRAが購入した馬に育成を施し、改めて馬主に抽選で販売された馬のこと。馬名の前には、抽を丸囲みで表記されたために、マル抽と呼ばれていた。コーセイの馬主への頒布価格は430万。

「コーセイが来た時は貧弱な仔馬という感じで、安かったのもわかる気がした。入厩してすぐに馬栓棒の下をくぐり抜けて放馬して、よその厩舎で捕まっていたよ。馬栓棒を2本しているのに、どうやって潜り出たのかわからない。怪我もなかったし、体が柔らかかったんだろうね」

 春に入厩した貧弱な仔馬は、夏を越して体も大きくなり、どんどん良くなってきた。デビューは秋。

「新馬戦前の追い切りでは、古馬2頭の真ん中に入れてもらったんだけど、古馬相手に間から抜け出そうとしてくるの。これは走るかもしれないと思った」

 新馬戦は、コーセイの生涯でただ一度のダート戦だったが、後続に8馬身差をつけての圧勝だった。その後、テレビ東京3歳牝馬S(GIII)、報知杯4歳牝馬特別(GII)と重賞に勝ち、桜花賞(GI・2着)、オークス(GI・4着)と活躍を見せ、「抽選馬の星」とも呼ばれるようになった。

―愛馬と添い寝―

 レースで抜け出して来る時の勝負根性は目を見張るものがあったが、普段は牛のように物静かな馬だった。

「その時に付き合っていた彼女と喧嘩をするたびに、コーセイの馬房に潜り込んで添い寝していた(笑)。何度も添い寝したよ。元々よく寝る馬だったし、僕がコーセイの腹を枕にして寝ても何もしなかった。本当に大人しい馬だったから」

 傷心の永井に優しく寄り添い眠るコーセイ。物語の中の光景のようで、微笑ましい。

「呼び名なんてないよ。当時は馬に話しかけたり、そんなこともなくて、黙々と仕事をしていた。先輩たちもそうだったんじゃないかな」

 言葉がなくても、人と馬は心を通わせることができる。永井とコーセイの間には、添い寝ができるほどの信頼関係が築かれていたようだ。

―弱かった脚元―

 しかし、苦労もあった。

「骨が弱かった。両前脚に骨瘤があり、痛みがあってハ行していたからね。オークスの後、当時のラジオたんぱ賞(現ラジオNIKEEI賞)を使う予定だったけど、また脚が痛くなって放牧に出た」

 休養は1年弱に及んだ。放牧から戻ってきても、脚元は完全ではなかった。その状態の中でレースに出走させなければならない。永井は必死にケアをし、コーセイは常に力の限り走って、復帰3戦目で七夕賞(GIII)を制し、その年の暮れには有馬記念(GI・10着)にも出走した。年が明けては中山記念(GII)を6歳で優勝したコーセイは、安田記念に駒を進めた。

「とにかくすごい根性してたよ。飼い葉食いも一度も落ちたことなかったしね。安田記念は脚元も大丈夫だったし、調子も良くて、勝てるんじゃないかと思っていた。でもレース中に蹄鉄が外れかけて曲がってしまった。それなのに一生懸命走ってきて、腱を不全断裂してしまった。命が助かって本当に良かった」

 脚の故障がありながらも、17頭中、8着でゴールイン。これが最後のレースとなった。

「春のクラシックシーズンは栗東に滞在した。有馬記念ではオグリキャップやタマモクロス他、GI馬が多数いて装鞍所でときめいた(笑)。それに大好きなサッカーボーイがいたから、馬房まで会いに行ったりしたよ(笑)。そのたびにいろいろな人と出会って、勉強になったし、お世話にもなった。それが今も財産となっている」

 若い永井にコーセイがもたらしたもの。それは馬と人、人と人との絆だったのかもしれない。

―名牝を待っていた穏やかな日々―

 現在コーセイは29歳と高齢ながらも、北海道浦河町の渡辺牧場で穏やかな日々を過ごしている。

「女らしくて、おっとりした馬です。ナイスネイチャの母・ウラカワミユキと一緒に放牧をしているのですが、ミユキはずっと群れのボスとして君臨してきました。だからミユキより強い馬を一緒に放牧することはできないんですよね。でもコーセイは、そんなミユキを立ててくれるんです」(渡辺牧場・渡辺はるみさん)

 その優しさに惹かれたファンの1人が、10年前に繁殖を引退した彼女を引き取って、渡辺牧場に預けているのだという。人との出会いが馬の運命を変える。生まれ持ったコーセイの優しい性格が、彼女の余生を幸せなものにしたようだ。

 コーセイの近況を永井に伝えた。

「引退してわりとすぐに会いに行ったきりだね。来年、札幌に出張することがあったら、浦河まで行ってみようかな」

 笑った永井の目元に皺が刻まれた。17歳だった永井は、45歳になった。来年、コーセイは30歳を迎える。彼女がターフを去ってから24年の歳月が流れた。(取材・写真:佐々木祥恵)

■永井智樹(ながいともき)
1968年4月10日生まれ 45歳。尾形盛次厩舎を経て、現在は杉浦宏昭厩舎。これまでの主な担当馬はアラブのミトモスイセイ(セイユウ記念)、コーセイの他、フサイチゴールド(中山グランドJ・3着)などがいる。

■コーセイ
牝、栗毛、1984年4月21日生まれ。父タイテエム、母ハマノルーフ、母の父サンプルーフ。18戦6勝。中山記念(GII)、報知杯4歳牝馬特別(GII)など重賞4勝。

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