26日、阪神9R・丹波特別(1000万下・芝1600m)で、ゲヴァルト(セン5、栗東・安田隆行厩舎)が、ゲート入りの際に第2頚椎を骨折。その場に倒れこんで死亡した。
同馬は02年12月デビュー。その新馬戦でギャラントアローを破り、続くラジオたんぱ杯(G3)では、ザッツザプレンティの3着に好走した。翌年3月にさわらび賞(3歳・500万下)を勝って勢いに乗るものと思われたが、その後は勝ち星に見放され続け、04年夏に去勢。その効果もあって、同年秋に500万下、1000万下とマイル戦を連勝した。通算13戦4勝。同年12月25日の1000万下(阪神・芝1600m)2着が最後のレースとなった。
父サンデーサイレンス、母がブルーハワイ(その父スリルショー)という血統。半兄には97年京都新聞杯(G2)でマチカネフクキタルの2着となったパルスビート(父トニービン)が、半姉にはJRA・4勝のシネマスコープ(父トニービン)がいる。