河内騎手(現調教師)に悲願であった“ダービージョッキー”の称号を贈ったアグネスフライト(撮影:下野雄規)
アグネスフライトを語る上で外せないのは、母系と人の物語だ。
話はフライトの曾祖母に遡る。曾祖母の
イコマエイカンは多くの活躍馬を輩出した名繁殖牝馬だった。その代表産駒が79年のオークスを制した
アグネスレディー(父リマンド)。管理したのは長浜彦三郎調教師、手綱をとったのは20代の河内洋騎手(現調教師)だった。
時は流れ、母となった
アグネスレディーは90年の桜花賞馬
アグネスフローラ(父ロイヤルスキー)を送り出す。手がけたのは彦三郎師の息子の長浜博之調教師。鞍上はもちろん河内洋騎手が務めた。
さらに10年が経ち、大目標のダービーに手が届かないまま、ベテランとなっていた河内騎手の前に現れたのが、フ
ローラの息子のアグネスフライトだった。ダービーでは1番人気のエアシャカールとの叩き合いをハナ差制し、祖母レディ―、母フ
ローラに続く、親仔3代でのクラシック制覇を達成。一族と共に歩んできた長浜博之調教師、河内洋騎手にダービーのタイトルを届けたのだった。