3月から調教師に転身する福永祐一騎手(46)=栗東・フリー。現役ラスト騎乗が刻一刻と迫るなか、時代を彩った名馬やレースとともに、希代のスター騎手となった彼のヒ
ストリーを全8回の連載で振り返る。
◇ ◇
勢い任せの若い頃とは、質の異なる熱量を胸に歩み始めた30代後半。福永にとって、2012〜14年は大きなターニングポイントを迎えた時期だった。乗り馬の質が上がる一方で、思うような上昇曲線を描けていない不安や焦りがあったのだろう。肉体改造はもちろん、騎乗
スタイルを一から見直すなど、明確なテーマを持って自分に投資し、少しずつ
アップデートを重ねていく-。活躍と平行してさらなる上のステージをにらみ、雌伏の時を過ごしていた。
そんななか、駿馬2頭と出会う。まずは
シーザリオの第3子として生を受けた
エピファネイア。“この馬で福永家悲願のダービーを”という望みはくっきりと輪郭を帯びていたに違いないが、春は残念ながら無冠に。とりわけ寸前でつかみ損ねた祭典は痛恨だった。しかし、菊花賞を勝つことにより、牡馬クラシック初制覇という新たな勲章を手にすることになる。
そしてもう1頭。
ジャスタウェイだ。こちらは2、3歳時からそれなりの活躍を見せていたものの、完全覚醒は13年秋の天皇賞。菊花賞制覇の翌週、
ジェンティルドンナや
エイシンフラッシュといった猛者をあっさり切って捨てたのだ。翌年のドバイDFも制し、その勝ちっぷりにIFHA(国際競馬統括機関連盟)の「ロンジンワールドベストレースホースランキング」では堂々の1位に。ちなみに、秋には
エピファネイアが同ランキング2位に選出されており、この年の世界ナンバー1、2がともにお手馬という騎手の僥倖を味わっている。
この2頭に関することで、失礼な質問をしたことがある。
スミヨン駆る
エピファネイアが圧勝した14年
ジャパンC。福永はこの時、
ジャスタウェイ(2着)の方に乗っていたのだが、“もし逆の馬に乗っていたらどうなっていたか?”と。「そうね…逆だったら…(しばし考えて)やっぱり勝ってたんちゃう?
エピファネイアが。でも、それを考えてもしょうがない。“オレから
スミヨンに乗り代わったから強い”って言われるのは当然だと思うし、そういう評価をする人がいるのは自然。でも、
スミヨンに到底かなわないとも思わない。すごいジョッキーだとは思うけどね。馬によっては自分が勝つ時もあるし、同じ馬に乗っても自分の方がうまく乗る時もある。そもそもいい流れの時、かみ合わない時もあるから。昔ほどそんなことで一喜一憂しなくなったよ」。正直、怒られるかと思ったが、物腰は至って泰然自若。何を質問されてもドンと構えて答える姿が印象的だった。
この頃、福永がまとうようになったどこか柔らかな空気感は、伴侶の存在によるものが大きかったに違いない。元フジテレビアナウンサーの翠夫人である。2人は13年3月26日に婚約を発表し、同年8月20日に婚姻届を提出。翌春には待望の第1子が誕生した。
14年暮れのこと。“結婚して変わった部分”について福永本人に聞いたところ、こう返ってきた。
「結婚して丸くなって、守りに入ったら勝負師として良くない…っていう、ざっくりとしたイメージってあるじゃない。オレも若い時はそう思っていた。確かに、それは勝負師としては良くない面かもしれないけど、それを上回るプラス
アルファを、違う部分でもらっているわけ」
(中略)
「ギリギリのせめぎ合いのなか、スペースを探して突っ込んで勝ってやろうとか、若い頃と比べると当然…ない。でも、そんなことをしなくても勝てる技術は若い時よりもある。独身の頃より今の方が強い自分だと思うし、周りから“結婚して成績が悪くなった”と言われないように頑張っているのもあるね」
この時期、大先輩である岡部幸雄元ジョッキーと話す機会があり、競馬に対する心構え、考え方が変わったとも明かしている。「アンチが増えて、いろいろ言われることもあったけど、そういうのを流せるようになった。心身の
バランスが取れて仕事できている」。家族の存在、そして名手のアド
バイスにより、物事を俯瞰(ふかん)で見られるようになった。ネガティブな声をいなし、プレッシャーを飼い慣らし、平常心のまま騎乗技術を発揮する-。「まだまだ途中だけど、自分が取り組んできたことの方向性は間違っていないと思うよ」。騎手としての
ピークを今ではなく、将来に持っていきたいと語っていたが、その言葉の通り、大願は数年後に成就することになる。