約2年8か月ぶりの勝利が重賞初勝利 ステイゴールドの目黒記念Vから25年

2025年05月27日 07:30

00年目黒記念を制したステイゴールド(00年5月撮影、ユーザー提供:sash01さん)

 JRAのGIでは一度も主役になれなかったものの、善戦キャラとして絶大な人気を誇り、ラストランの香港ヴァーズで悲願のG1初制覇を果たしたステイゴールド。そんな個性派スターが約2年8カ月ぶりの勝利を手にするとともに、重賞ウイナーの称号をつかみ取った00年の目黒記念を振り返る。

 ステイゴールドは父サンデーサイレンス、母ゴールデンサッシュ、母の父ディクタスの血統。伯父のサッカーボーイは87年の阪神3歳Sと88年のマイルCSの覇者。社台ファームが誇る名牝系の出身だった。気性難に悩まされながら、4歳秋までに3勝を挙げると、菊花賞にも出走。その後は中長距離戦線に欠かせない存在となっていく。5歳時は天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)とGIの2着が3回。有馬記念でも3着に健闘した。さらに6歳時も宝塚記念で3着、天皇賞(秋)で2着。しかしながら、なかなか勝利には手が届かない。7歳時の天皇賞(春)で4着に終わり、連敗は28に。そんな状況で迎えた目黒記念、陣営は熊沢重文騎手から武豊騎手への乗り替わりを決断。必勝を期して伝統のハンデGIIに挑んだ。

 トップハンデの58kgを背負った一戦、ステイゴールドは積もりに積もったうっ憤を晴らすような走りを見せた。道中は中団で脚をためて直線勝負。直線は内から脚を伸ばし、残り200mで先頭へ。最後は2着のマチカネキンノホシに1馬身1/4差をつけて、実に4歳時の阿寒湖特別以来となる4勝目を手にしたのだった。

 GIIでありながら、四半世紀が経っても語り継がれる一戦。雨中の東京で遂に主役となり、多くのファンから祝福されたステイゴールドの姿は、多くのファンの記憶に残り続けるに違いない。

(※年齢は旧表記)

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