引退後は函館競馬場で誘導馬を務めたエリモハリアー(15年6月撮影、ユーザー提供:ポンタも大好きさん)
この時期になると思い出す1頭がエリモハリアーだ。05年から07年の函館記念を制覇。JRA史上3頭目となる同一平地重賞3連覇を達成した個性派だ。ここで改めてその足跡を振り返ろう。
エリモハリアーは父ジェネラス、母エリモハスラー、母の父ブレイヴェストローマンの血統。02年に栗東・田所秀孝厩舎からデビュー。勝ち上がりに8戦を要するなど、5歳春までは一介の条件馬だった。しかし、5歳夏の北海道で覚醒する。格上挑戦の巴賞を制してオープン入りを決めると、中1週で函館記念に挑戦。6番人気の伏兵評価だったが、先団から抜け出して2着のブルートルネードに1馬身3/4差の快勝。後に須貝尚介厩舎の攻め専となり、ゴールドシップなどを手掛けることとなる鞍上・北村浩平騎手に生涯唯一の重賞タイトルを届けたのだ。
その後は勝ち切れないレースが続いたが、6歳時にも函館で存在感を放つ。巴賞は惜しくも2着だったが、函館記念では1番人気に応えて堂々の差し切り。当時46歳のベテラン・安藤勝己騎手とのコンビで連覇を果たした。ところが続く札幌記念で5着に敗れた後、屈腱炎で長期休養を強いられることとなる。復帰戦となった巴賞では最下位の11着に大敗。当時7歳の高齢でもあり、函館記念では7番人気に甘んじた。しかし、エリモハリアーは終わっていなかった。武幸四郎騎手に導かれ、中団馬群で脚をためると、直線で末脚を発揮。ジワジワと脚を伸ばし、レース史上初の3連覇を果たしたのだった。
エリモハリアーはその後も現役を続けた。函館記念では8歳時が4着、そしてラストランの10歳時は13着に終わったものの、「函館の名優」として多くのファンに愛された。そして引退後は函館競馬場で誘導馬に。残念ながら18年にこの世を去ったが、その雄姿は多くのファンの記憶に残り続けるに違いない。