幾度の条件変更を経て、00年から1600mとなった富士S。それから四半世紀の節目となる今年、
ダイワカーリアンが鮮やかに逃げ切った00年の「マイル1年目」のレースを振り返りたい。
ダイワカーリアンは父Caerleon、母ジェドゥーザムール、母の父Top Villeの血統。フランス生まれの外国産馬だった。若い頃は休み休み使われていたが、着実に出世の階段を上がっていった。98年春に2回目の1600万下勝ちを果たしてオープンへ。そして7歳となった00年に本格化する。東京新聞杯で重賞初制覇。夏の札幌記念で2つ目のタイトルを獲得すると、勢いに乗って富士Sに向かった。
東京新聞杯と同じく東京マイルが舞台となる一戦。意外にも
ダイワカーリアンは6番人気に甘んじたが、逃げ馬にとって低評価はラッキーだった。前半600mが35秒3、1000mが58秒6のゆったりとしたペースを刻み、手応え良く直線へ。これなら粘りが増すというものだ。好位から食い下がるダイタクリーヴァを振り切ると、猛然と追い込んだトロットスターも振り切ってフィニッシュ。堂々たる走りで重賞3勝目を手にしたのだった。
残念ながら
ダイワカーリアンにとって、これが最後の勝利となった。引退レースだった01年のアルゼンチン共和国杯のレース直後、急性心不全で死んでしまったが、その雄姿は多くのファンの記憶に残り続けるに違いない。