3日に死亡したオグリローマン「最後は眠るように安らかに」

2015年03月09日 18:30

武豊騎手を背に地方競馬出身馬として初めて桜花賞を制したオグリローマン(外)

 1994年の桜花賞馬のオグリローマン(牝・父ブレイヴェストローマン)が、3月3日、北海道新ひだか町の稲葉牧場で亡くなった。24歳だった。

 オグリローマンは、怪物オグリキャップの妹として1991年5月に稲葉牧場で生まれ、兄と同じ笠松競馬で7戦6勝の成績を挙げて中央競馬に移籍。地方競馬出身馬として初めて桜花賞を制した。

 桜花賞後は勝ち星に恵まれず、5歳(旧馬齢表記)で競走馬登録を抹消。稲葉牧場に戻って繁殖生活を送っていた。2011年にヴァーミリアンを種付けしたものの不受胎に終わり、繁殖生活に終止符を打ち、その年の秋からジャパン・スタッドブック・インターナショナルの引退名馬繋養展示事業の助成を受け、生まれ故郷で余生を過ごしていた。

「2月半ばから右トモが不自由になりました。よくゴロを打つ馬なのですが、1度寝てしまうと起き上がれなくなるねと主人とも話をしていました。でも気丈な馬で、そのような状態でもゴロを打たずに立っていました」と話すのは、稲葉牧場の稲葉千恵さん。

 しかし、3月3日の朝に飼い葉をつけにいくと、馬房の中でローマンは横たわっていた。

「もう立てないのかなと思いました。それでも手のひらから燕麦を食べてくれたんです」(千恵さん)

 そしてその日のうちに、オグリローマンは息を引き取った。

 解剖の結果、芦毛の馬に多く見られるメラノーマ(悪性黒色腫)が全身に広がっていた。けれども、その最後は穏やかだった。「スーッと、本当に静かに逝きました」と千恵さんの言葉通り、ローマンは眠るように安らかに天国へと旅立っていったのだった。

「ローマンは頭の良い馬でした。ファンの方が訪ねてくると、ちゃんと理解しているようで、呼ぶとこちらに来ました。けれども、馬に対してはきついところのある馬でした。キリッとしていて、馬の中ではリーダー的存在でした」と千恵さんは在りし日のローマンの素顔を教えてくれた。

 6歳上の兄のオグリキャップは稲葉牧場にとっても大きな存在であったが、繁殖牝馬として稲葉牧場で長い時間を過ごしてきたホワイトナルビー(オグリキャップ、オグリローマンの母)、オグリローマン親子もまた特別な存在であった。兄が叶わなかったクラシックレースに出走した妹が、桜花賞を見事に優勝した。それは関係者の強い思いが結実した瞬間でもあった。

「あの時は、目に見えない力が働いたような気がしました」と、千恵さんは当時を振り返る。

 母としてのオグリローマンは、オープン馬こそ輩出できなかったが、チジョウノテンシ(父デヒア)、道営競馬で昨年まで走っていたシュンプウサイライ(父フレンチデピュティ)、更には孫のクィーンロマンス(父ティンバーカントリー、母オグリロマンス)、サンマルミッシェル(父ネオユニヴァース、母オグリロマンス)が、現在、稲葉牧場でその血を受け継ぐべく繁殖生活を送っている。

「ローマンには、本当に夢を見させてもらいましたし、生まれた時から亡くなるまで、その一生を近くで見ることができました。亡くなって寂しいですけど、もっとああしてあげれば良かったとか、そのような後悔がないんですね。後継の繁殖牝馬を残してくれていますし、その血は今後も続いていきます。これからがまた楽しみです」

 そう話す千恵さんの声には、悲しみや寂しさの中にも希望が宿っているように感じられた。

(取材・文:佐々木祥恵)

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