サクラローレル(写真は95年の中山金杯優勝時、撮影:高橋正和)
およそ2年半を経て、京都競馬場にGIの蹄音が戻ってくる。4月30日(日)に行われる天皇賞(春)(4歳上・GI・芝3200m)にちなみ、名勝負をプレイバック。本稿では1996年の同競走を振り返る。
勝利したサクラローレルは父Rainbow Quest、母ローラローラ、母の父Saint Cyrienという血統。近親にダートで活躍したタイムパラドックスがいる。
■苦難乗り越え咲いたサクラ
レース前、各所で2強対決の見出しが踊った。前哨戦の阪神大賞典で3着を9馬身ちぎり、アタマ差の接戦演じた2頭が圧倒的人気。連敗からの復活期す3冠馬ナリタブライアンが1.7倍、前年の有馬記念を制したマヤノトップガンが2.8倍だった。3番人気のサクラローレルは14.5倍。やはり、ファンの視線は2頭に注がれていたということだろう。
サクラローレルは生まれつき身体が弱くデビューも遅かった。4歳時には青葉賞で3着に入り、ダービーの出走権利を手にしたが脚部不安で回避。同期のナリタブライアンが3冠を達成する一方、すっかり陰に隠れていた。だが、古馬になると徐々に本格化。95年の中山金杯で重賞初制覇を飾り、続く目黒記念でも2着に入る。
ところが、好事魔多し。天皇賞(春)に向けた追い切り中に両前脚を骨折し、一時は命さえも危ぶまれる事態になった。懸命の治療は長く続き、戦列復帰は約1年後。主戦の小島太騎手が引退し、新たなコンビ横山典弘騎手と中山記念に出走すると、外から鋭い末脚で差し切り勝ち。前年に出走が叶わなかったGIの舞台に駒を進めてきていた。
話を96年の天皇賞(春)に戻そう。スタートが切られるとテイエムジャンボ、スギノブルボンが勢いよく飛び出し、後続を引き離して大逃げの形。マヤノトップガンは前から離れた4番手で、すぐ後ろにはナリタブライアンがいた。サクラローレルは内に潜み、2強を見る絶好位。はやる気持ちを抑えながら脚を溜める。
向正面に入ると一気にペースが緩み馬群が凝縮。サクラローレルはいつの間にか馬群の外に出し、2強の真後ろで虎視眈々と機をうかがう。しかし、ファンの視線はトップガンvsブライアン。4コーナーでマヤノトップガンが先頭に立ち、満を持してナリタブライアンも追い出す。1馬身、2馬身と差を開いていく。ナリタブライアンの復活か――。歓声に包まれ、多くのファンが思った瞬間、並ぶ間もなく抜き去ったのがサクラローレルだった。
ナリタブライアンを2馬身半置き去りにして待望のGI初制覇。雪に耐えて梅花……いや、桜花麗し。苦労と挫折の先にあったのは、季節外れながら満開の桜だった。