2007年、日本の競馬は時代の区切りを迎えていた。約2年間、ターフの中枢に君臨していたディープインパクトが06年の有馬記念を最後に引退。絶対的な主役は不在となり、戦国時代の様相を呈していた。
同時に、一つの輪郭も浮き上がろうとしていた。「強い牝馬」の出現である。その07年の主役は
ウオッカと
ダイワスカーレット。2頭の3歳馬だった。
ウオッカは牝馬として64年ぶりに日本ダービーを制覇。桜花賞と秋華賞は
ダイワスカーレットが宿敵を撃破した。ドバイデューティフリー、宝塚記念、
ジャパンCと国内外でG13勝を挙げて年度代表馬に選ばれたアドマイヤムーン、春秋の天皇賞を優勝したメイショウサムソンと有力な牡馬もいたが、話題の中心には常に牝馬がいた。
そのムードは、暮れの有馬記念を迎えても変わることはなかった。ファン投票1位選出は
ウオッカ。1番人気はメイショウサムソン、2番人気は前年の2着馬で直前のJC2着と頑張った
ポップロックだったが、ファンは、宿命のラ
イバル牝馬2頭の決着に期待し、心を躍らせていた。
G1実績馬がズラリとそろった
グランプリ。そのなかで“中山の鬼”が静かにツメを研いでいた。ちょうど一年前、ディープインパクトがラストランの有馬記念でファンに別れを告げた前日、中山の1600万円下(現在3勝クラス)のレースで白星を手にしたマツリダゴッホだった。サンデーサイレンス産駒の最終世代。4歳を迎え、アメリカJCC、オールカマーと、有馬記念と同じ中山コースで2つのG2勝利を積み重ねていた。
レースは逃げた
チョウサン、続く
ダイワスカーレットの直後の3番手。直線を向くと、9番人気の伏兵は早々と抜け出した。鞍上・蛯名正義の右腕が高々と上がる。2着
ダイワスカーレットに1馬身1/4差をつける完勝だった。「KYと言われました。空気が読めなくてすみません」。ウイナーズ
サークルでファンから手痛い祝福を受けた蛯名は「僕自身がアッと言わされました。本当に勝っちゃった。それが正直な気持ちです」と語った。
2着に
ダイワスカーレット、3着に引退レースだったダイワメジャーと、最初で最後の競演だった妹と兄が頑張りを見せたが、メイショウサムソンは8着、
ウオッカは11着に沈んだ。3連単80万880円は、当時の有馬記念の最高配当となる大波乱だった。
優勝馬の口取り記念撮影には、オーナーの高橋文枝氏も、生産者の岡田スタッドの岡田牧雄社長も不在だった。忘れた頃にやって来る「波乱の有馬記念」。今年も全国の穴党たちが大きな
クリスマスプレゼントを求めて、「第二のマツリダゴッホ」を探し始めている。