騎手として菊花賞(ハイレコード、コマツヒカリ)、春の天皇賞(ヤマニンモアー)を勝つなど通算340勝(重賞16勝)を挙げ、調教師となってからはオークス(ヤマピット、ケイキロク)、阪神3歳牝馬ステークス(ヤマニンパラダイス)、ラジオたんぱ杯3歳ステークス(メジロブライト)を勝つなど通算785勝(重賞42勝)を挙げた浅見国一(あさみ くにいち)さんが、28日(月)午後11時頃、自宅で病気のため亡くなった。
通夜は30日(水)午後7時から、告別式は31日(木)午後0時半から草津シティーホール(滋賀県草津市西渋川)で営まれる。喪主は浅見文子氏(妻)。
(日本調教師会関西本部=JRA発表による)
浅見国一(國一)さんは1921年(大正10年)12月2日生まれ。岐阜県出身。1935年(昭和10年)に騎手見習、1942年(昭和17年)に騎手となり1964年(昭和39年)まで騎乗して2376戦340勝(うち障害56戦12勝)の成績を残した。
1964年3月1日付で調教師免許を取得。その年に厩舎を構え、15年前の1997年2月28日に調教師を引退するまで7905戦785勝を挙げた。
引退後は競馬解説の仕事などをつとめるかたわら、2008年に86歳でJRAの馬主資格を得て一昨年5月15日には新潟競馬場で所有馬キセキが勝利を挙げて話題となった。
提供:ラジオNIKKEI